情報通信機器のプロとして50年
大井電気の技術が生きる提案を
松本 雅徳 社長
携帯電話が爆発的に普及し始める以前、屋外での通信方式として隆盛を極めていたPHS。
「実は今でも根強い需要があります。例えば、病院やホテルのスタッフ間の連絡などに用いられていますね。そうしたシステムを提供するのが私達の仕事です」
と、話すのは日本テクニカル・サービス株式会社の松本雅徳社長。
同社の親会社である大井電気㈱は、ポケットベルや卓上電子計算機を日本で初めて開発した情報通信機器開発の雄。その製品全般の保守・管理部門として設立し、来年50周年という節目の年を迎える。
本来、情報通信機器に保守は付き物だが、近年では技術革新による性能向上と小型化により、保守管理より設備更新という流れが起きている。そこで同社が推し進めているのが、より高い付加価値の提供だ。
例えば、病院内での患者呼び出しシステム。診察までの待ち時間を有意義に過ごしてもらうことができ、満足度向上に貢献している。加えて、今までの診察歴などと関連付けた患者の管理にも活用可能といった面も含め、その病院に合わせた提案を行っている。
航空の分野でも同社のシステムが生きる。空港では従来、整備士・乗務員・整備本部の3者ワイヤレス通話システムにおいて、航空機の型ごとに音声の規格が統一されておらず、ロスを生むという課題があった。
その要望を汲み取り、音声規格のばらつきを均一にする回路を大井電気と共に開発。見事大手航空会社に続々と採用された。
「こうした提案ができるのも、長年培ってきたノウハウがあってこそ。時には並居る大手電子機器メーカーとも手を組み、クライアントに寄り添った提案を心がけています」(松本社長)
仕事に打ち込む熱意の源
日テクの技術を海外にも
松本社長は黒沢尻工業高校卒業後、大井電気㈱に入社。20代の折には、仕事に行き詰まりを感じて辞表を提出したこともあったという。その際、当時の上司が、何度も自宅の両親を訪ね、茶飲み話をしては帰ったそうだ。その熱意に負け、改めて出社した際に「過去の自分はもう死んだものとして、仕事に取り組もう」と心新たに決意。そこからは仕事に打ち込み、ついには三菱電機の周辺機器開発に携わることになる。そこで出会ったのが前社長の今井信良相談役だ。
旧知の仲であるがゆえ、松本社長の仕事ぶりや人柄の良さを買っており、今年6月新社長に抜擢。今井相談役の経営方針を踏襲するという松本社長は、
「縮小する日本マーケットに高付加価値のサービスを提供するとともに、新興国へも私たちの技術をお届けし、社会のインフラ整備に役立つことができれば、と思っています。数年後には50億円の売上を目指せる企業になりたいですね」
と、抱負を語る。
【会社データ】
本社=東京都世田谷区池尻3―10―3 三菱電機世田谷ビル
☎=03―3413―8500
資本金=5000万円
設立=1966年4月
事業内容=電子機器・通信機器販売、保守、据付工事
http://www.nitteku.co.jp
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